--はじめに
皆さん普段踊っているニュースクールの歴史についてご存知ですか?そもそもダンスのルーツや流れを知らないと言う方もたくさんいらっしゃるのでではないでしょうか?今回は、様々なダンスの文化の中でニュースクールにフォーカスを当ててご紹介します。
■ ニュースクールが生まれた時代
ストリートダンスは、1990年を境に時系列で大きく分けられ、1990年以前をオールド・スクール、1990年以降をニュー・スクールと解釈されています。現在では、ミドル・スクールを加えた3つに区別するのが一般的です。とはいえ、1990年代以前に活躍していたダンサーたちは、自分たちのヒップホップがオールド・スクールという認識はなく、初めてそれを知ったのは、ニュー・スクールという言葉が誕生してからのことです。新世代のダンサーたちが、いかに、自分たちのスタイルが、それまでのストリートダンスとは一線を引いた新しいスタイルだということを印象付けるため、自分たちをニュー・スタイルのストリートダンスだと定義し強調しました。これにより、それまでの世代のスタイルをオールド・スクールとして定義し、ストリートダンスの世界に新しい潮流を生むことになったのです。
ニュースクールは、従来のヒップホップによく見られた、太いゴールド・ネックレスやゴールドの指輪、犯罪や銃などのいかにもといった不良的な要素は排除したことが特徴で、不良でなくても、純粋に音楽やヒップホップが好き、そして、実力があれば評価される新時代の扉を開けたのです。これにより、ストリートダンスの持つ多様性が促進されることになりました。
日本では、第一次ディスコブームに六本木で踊られていたものが、ニュー・スクールに近いとされており、シンプルなステップ・ダンスで、ダウンをメインとしたものが多いのが特徴。ハウスダンスもニュー・スクールに含みつつ、現代に至っています。
■ オールドスクールとは
オールドスクール(ダンス)とは、ざっくり言うとブレイキン・ポッピン・ロッキンなど80年代を中心に流行ったストリートダンスです。この映画を見れば、オールドスクールの音楽もファッションもダンスも一発でわかる!というのが「WILD STYLE」1982年)です。1982年のニューヨークを舞台にした映画で、当時は日本でも超話題になりました。この時代がなければ、今のダンスシーンは絶対にありません。ラップやダンス、DJ、グラフィティアートなど、全てこのオールドスクールがカギを握っています。
■ ゴールデンエイジ・ヒップホップ
ゴールデンエイジ・ヒップホップ(golden age hip hop)は、ヒップホップ・ミュージックの歴史において、オールドスクール・ヒップホップに続く全盛期です。日本では、ミドルスクールと呼ばれたりもするが、世界的にはこの言葉はそれほど一般的ではありません。オールドスクールとニュースクールを繋ぐ1980年代後半から90年代前半にかけてNY~ブルックリンのシーンを中心にリリースされたヒップホップ・ヒストリーの黄金期と語り継がれるゴールデン・エイジ・ヒップホップ。日本ではミドルスクールと言われるこの時代のヒップホップ・サウンドはソウル、ジャズ、ファンクのサンプリングを主体としたバックトラックや社会問題を取り上げる等、リリックの題材にも新しい変化が生まれ、オールドスクール以降のヒップホップの進化に多大な影響を与えた重要作品が数多くリリースされている。時代的には80年代半ばのRun-D.M.C.やUTFO、LLクールJ、フーディニらの登場から、1993年頃のGファンクの隆盛までを指します。
■ ネイティブタンの功績
新たなスタイルを確立し、人気を博するようになったのが、ア・トライブ・コールド・クエスト、デ・ラ・ソウル、ブラック・シープ、ジャングル・ブラザーズで、彼らは総称して、ネイティブタンと呼ばれ、新しい潮流を生み出した代表格として語られています。彼らNative Tongue(ネイティブ・タン)は、オールドスクール・ヒップホップによく見られた、「ゴールド・ネックレス」「銃」「現金」などの要素を排除して、非マッチョ路線で活動を展開しました。不良にはなりたくないけどヒップホップ音楽は好き。そんな属性がヒップホップの世界に流入することでヒップホップの多様化が促進されていきました。